2019年に再結成と復活ライブが発表されたナンバーガール。各所で歓喜の声が聞こえる中、僕はその事実を受け入れるまでとても時間がかかりました。僕が音楽をやっている原因であり、青春そのものであり…。この記事はほぼ自分語りなので暇なときにでも読み飛ばしていただけたらと思うんですが、自分の人生とナンバーガールとの関わり、そしてナンバガをよく知らない方へおすすめの楽曲や聴き方などを語れたらと思います。
最初は苦手だった
ナンバーガールというバンドの存在は小学校高学年頃に認識しました。家では両親がよくCSの音楽チャンネルをつけていて、スぺシャや今は亡きViewsic(現エムオン)などの番組でたまにナンバガのMVやライブが流れているのをぼーっと見ていた記憶があります。青白い顔のメガネの人が叫びまくる…変なお面かぶってる…そして音がうるさい。どちらかというとJ-POP目当てでチャンネルを見ていた両親や僕にとってナンバーガールの音と映像はただただ奇妙でした。母親にいたっては「変なバンドだね~」とか言ってました。でも、小さかった僕にとってその変な人たちの映像はやけに記憶に残りました。ある種のトラウマ的に。
洋楽厨の価値観を塗り替えられる
そんなこんなで邂逅はしつつも縁が無かった小学生時代が終わり(そもそも小学生でナンバガの良さが分かってたらヤバい)中学生になって、僕は絵にかいたような洋楽厨への道を歩みだします。それもやはりきっかけはCS番組で、その頃見たGREEN DAYで突如洋楽にハマり出し、EMINEMあたりのヒップホップも好むようになります。そこから中3まではパンクとヒップホップばっかりで、洋楽こそ至高・邦楽はクソみたいな、まあ有りがちな思想に染まりつつありました。
YouTubeやネット配信なども普及していない時代、気軽に行けるレコード屋も無いド田舎在住の僕の音楽ソースはとにかくCS番組でした。テレビにレコーダーを繋いでCSで流れる楽曲を延々と録音し、プレイヤーで聴くのが習慣になっていました。目当ては洋楽でしたが、ある日そこにナンバーガールの「鉄風 鋭くなって」がたまたま混入していたのです。それを何となく聴いてしまったとき全てが変わりました。
真面目にナンバガの音を聴いたのはそれが初めてでしたが、何の誇張もなく「なんだこの音!?」と味わったことのない衝撃を受け、その後しばらくは鉄風ばっかり狂ったように聴き続けました。そして、このバンドこそが小学生の頃嫌厭していたナンバーガールだと分かり驚愕します。とりあえずAmazonでナンバガのアルバムをお小遣いが許す分だけ購入し、色々と掘り下げるうちにあれだけおどろおどろしく感じたMVの映像もカッコイイと思えるようになってしまいました。
既に解散しているバンドであることも遅ればせながら知り、日本にこんなバンドがいたのだという思いから邦楽にもちゃんと注目するようになります。ということで、ナンバーガールは僕の洋楽至上主義な思考を破壊してくれたバンドなのです。
ナンバガ漬け高校生活
高校生になって、アルバムも全部揃えてこの頃にはもうナンバーガールが世界一好きなバンドになっていました。ネットや雑誌で得た情報で、ナンバーガールが影響を受けた…邦楽ならブッチャーズ、イースタンユースなどの札幌界隈、洋楽ならポリスやピクシーズ、そしてZAZEN BOYSを始めナンバガのメンバーが解散後に在籍しているバンドなどを聴き漁ります。こんな感じで聴く音楽の選び方も、かなりナンバガの影響が強くなっていました。
ギターとドラムを何となく始めていた僕は当然ナンバガの楽曲を演奏しようと試みます。まず興味をひかれたのはアヒトイナザワ氏のドラムで、長いフィルインを無節操に入れまくり、ライブごとにバスドラの位置とかフィルのフレーズも全然違う、とにかく感性むき出しでほぼアドリブのプレイに魅力を感じて初心者なりに色々と真似していました。
同時にあの特徴的なジャッキジャキの未知のコード感にひかれ、向井氏の代名詞である「俺押さえ」という独特のコードの押さえ方の研究とかやり出す始末でした。まあシンプルに言うと6or5弦ルートの7th系省略コードのフォーム+1、2弦の開放というのがほとんどですが、常に開放弦が鳴っている不思議な和音は、今でこそやってる人もけっこういますがそれをあの曲調に取り入れるという試みはとても新しく感じました。
そんなことを一人でやっているうちに気付いたら3年生になり、友達とバンドを組んで文化祭に出る計画が持ち上がります。集まったメンバーと相談して挙がったコピーするバンド候補はエルレガーデン、バンプなどで、もちろんそれらのバンドも好きだったんですが、僕はどうしてもナンバガがやりたくて必死に売り込み透明少女をセットリストにねじ込むことに成功。死ぬまでにナンバガのコピバンやれたらな…と何となく思っていた夢が割と早めに叶うことになりました。
文化祭でコピバン
その高校3年の文化祭は下手くそなりに満足いくかたちでできたと思います。ギター人口が飽和していたため僕はドラムでの参加となり、アヒト氏には遠く及びませんがそれっぽい感じにシングルストロークアクセント移動フィルインをひたすら入れてました。透明少女はけっこうドラムが目立つ楽曲なこともあってか、普通に学校生活を送っていたら卒業まで一度も会話しなかったであろう学年一のチャラ男っぽい人からライブ後に「ドラムうまいねー」とか話しかけられたりして、そういうのがめちゃくちゃ嬉しくてその時に文化祭だけの一時的なものじゃなく、もっと本格的にバンドをやってみようと思いました。あと何よりそのときのコピバンのメンバーが全員ナンバガを好きになってくれたのも嬉しかったです。
あこがれの存在と対バン
高校を卒業し大学生になって、大人になっても細々とバンドは続けていました。コピバンから少しずつオリジナルをやり出し週末バンドマンとしてそれなりに活動していた頃、地元のライブハウスにtoddle(田渕ひさ子さんが解散後に活動しているバンド)がツアーに来ることが決まりました。そのtoddleが出演する企画にライブハウスのスタッフさんが僕らのバンドを誘ってくれて、あれよあれよという間にまさかの同じライブに出させてもらうという事態に。
活動バンド数の少ない田舎だから成せた状況というか、もし都会でやってたら多分同じライブに出演とかそんな機会なかったと思います。toddleの皆さんはずっと物販スペースで他のバンドのライブを見てくださってて、憧れていたバンドの人が自分の演奏を見ている…という状況に舞い上がってその日のことは正直よく覚えていません。あ、toddleの演奏は最高でした。「ずっとファンでした」みたいなことを言うこともできず、緊張して挨拶くらいしかできませんでしたが、ほんとに存在したんだ…とかアホなことを思っていました。
そして再結成
思い返すと自分の人生の重要な部分に関わっていると勝手に思ってる特別なバンド、ナンバーガール。だから2019年、再結成ニュースを聞いたときは変な動悸がしました。今は、各々のバンドで経験を積んだメンバーの皆さんの演奏を聴くのが楽しみです。いまだになんか心がソワソワしていますが、きっと夏まではおさまらないんだろうなと思います。
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